押忍!みんな!
FCのアニキ、チンピラトレーダーの中川だ!
最近、急に温度も上がってきて、もう夏なんじゃねぇか?って思うくらいだが、
体調崩さずに元気にやってるか?
俺は、大好きなアイスクリームを食ってなんとかやってるぜ。
それはさておき、
最近よく「株って難しいし、リスク高いんでしょ?」って質問受けるんだが、
みんなはどう思う?
日本は、金融教育が30年遅れているとか。
お金のコトを知らない、お金に弱い民族だとか。
そんな風に言われているから、そういう意識になってるフシもある。
しかし実は、日本人はもともとお金に対し非常に強い人種だったんだぜ!
この記事はざっくりいうと....
「先物取引」は日本人が初めて作り出した
株の取引でいろいろあるうちの「先物取引」。
馴染みのない人もいるだろうから、簡単に説明すると、
将来自分が買うものに対して、値段を最初に決めておく約束。
ってことだ。
「先物取引」とは現在の価格で未来の商品を売買させてもらうという約束
例えば、
お前らが大好きなハーゲンダッツ。あの最高にうめぇアイスだ!
ある日、お前はスーパーのアイスのケース前でふと見つけるんだ。
「本日、ハーゲンダッツ4割引」の文字を。
このチャンス、逃したくねぇ!
お前は、買いだめをして帰ろう!と考えるが、
まだまだアイスが最高にうまい時期は先だよな。
まとめ買いするには、まだ早い。
嫁にも「アンタ!冷凍庫を全部ハーゲンダッツで埋めるつもり?!」
とキレられるのが関の山だ。
ただ、お前はある決意を持って、スーパーの店員にお願いするんだ。
「あと2ヶ月先の7月。俺は必ずハーゲンダッツを2ケース買うから、
そんときゃ、今日の値段で購入させてもらえないか。」
と熱意を持ってすばらしく美しい土下座を決める…。
すると、スーパーの店員はお前のあまりの熱意に胸を打たれて答える。
「わかりました。2ヶ月後、待ってます!」と。
これが、「先物取引」ってやつだ。
なんとなくわかってもらえたかい?
日本で最初の先物取引は「米の売買」から始まった。
さて、話を戻して日本で初めて行われた先物取引の話だ。
1620年代、大阪の堂島に『淀屋米市場』ができあがり
その約1世紀後である1730年代に米の先物市場が整備されたといわれている。
その頃、
日本全体では500万石程度が市場に出回っており、そのうちの実に約4割、200万石が大阪だけで取引されていたといわれている。
まさに当時、日本における経済の基盤は「米」であり大阪は米の大市場だった。
大阪の商人たちは、市場が活発になり大きくなるにつれ、
いちいち現物でやり取りなんて面倒だ!
と、「米と交換できますよ」という引換券、『米手形』を発行することにした。
しかし、ここで問題になったのが、価格の変動。
引換券を発行したは良いが、一か月後や二か月後、三か月後に
価格が大きく現在の値段から大きく変動しているかもしれない。
現在値よりも将来売値が上がっていれば、売り手はラッキー
だが現在値より値崩れしていたら、売り手はその差額をかぶらなければならない。
そんなこんなで引換券を発行した商人たちは、気が気じゃない。
前もって売買の価格を決めておくことで、
価格変動リスクを回避できるという利点がある。
そこで、決められた約束の日が来た時点であらかじめ決めておいた価格で取引が出来るという、『先物取引』の概念が生まれた。
こうすることで、売り手は現在の値段での利益を確保できる。
前もって売買の価格を決めておくことで、
価格変動リスクを回避できるという利点がある。
もちろん買い手にとっては、
現在値よりも決済するとき商品の値段が下がっていたら
差額分「もったいない」ことになるが、将来値が上がった場合に想定以上の支出とならないためのリスクヘッジ代なのだ。
【まとめ】株の歴史を知る事もリスクヘッジになるんだぜ。
「先物取引」の例を見てもわかるように、
日本人は元々、お金(数字)に対して非常に合理的で強い民族だった。
そのDNAは、きっと我々の中にも脈々と受け継がれている。
先人の知恵をありがたく学んで行く事が大事なんだ。
いわゆる温故知新って奴だな。
その知識を持って、まずはお金に苦手意識を持たず、自分が理解できるところから取り組んでいこう。
【俺の株セミナー】その株の悩み、おれが解決するぜ。
株の悩みといっても、相談できる相手、なかなか周りにいないんじゃないか?
そういう時は俺が直接相談にのるぜ。
おれも最初は手探りでやってたからおまえらの気持ちはよくわかるつもりだ。
もしくはおれのこのページで取り上げてほしい悩みがあったら、
お問い合わせフォームから気軽に聞いてくれ。
俺はいつだってお前らの味方だ。
じゃ、また会おうぜ!!