前回は貨幣の歴史から
お金の価値=信用
ということをお話ししました。
今回は貨幣でも
「紙のお金」
紙幣についてその価値を見ていきましょう!
この記事はざっくりいうと....
ただの紙切れが「国家権力」で価値のある「紙幣」になる!!
一万円札は原価にしてみると、約20円です。
それなのに1万円相当の物を買うことができるのはなぜでしょうか?
それは日本銀行券である1万円が
法律によって1万円相当のものと交換できると決められているから
なんです。
皆さんが普段意識せず使えているのは
1万円は1万円として使える、という信用が
日本、もしくは世界で広く認識されているので成り立っているからなんですね。
日本の「円」に対する「信頼」が紙幣にこめられているんですね。
それでは、そんな当たり前に使われている日本の紙幣はどのように生活に根付いてきたのでしょうか。
江戸時代:価値ある大判小判との「引き換え券」が紙幣のはじまり!
日本最古の「紙幣」は全国チェーンの民宿会社が作った!
1623年に伊勢国山田の商人が発行した山田羽書が日本最古の紙幣と言われています。
この「伊勢国」ってどういう場所かっていうと、、、「伊勢神宮」があった場所!
今よりもよっぽど「神だのみ」が流行っていた江戸時代。
その総本山である「お伊勢詣り」に出かけることは江戸時代の人にとっては、大イベントなわけです。
「伊勢」は常に賑わい、大きなお金が生まれる場所でもありました。
そこに目をつけたのが、「伊勢御師」=「参拝客向けの民宿チェーン」だったんですね。
伊勢商人は参拝客向けの商売を日本各地で行うことに成功し、その幅広いネットワークは幕府も認めていたわけです。
そんな彼らに、小切手を切る権利を幕府が与えたんですね。
それが「山田羽書」だったわけです。
江戸初期から明治時代初めまで途切れることなく、
お上の信頼が高かった時は継続して発行されるほどでした。。
やはりここでもキーワードは信用ですね。
「幕府」のお金は「藩」のお金よりも強し。
一方で、「幕府」と「藩」の力関係がはっきりしていた江戸時代。
各藩は「幕府の正式な貨幣(以下正貨)」を集めることに躍起になっていました。
なぜか。
それは、幕府が「貨幣」を作る権利を独占していたからなんです。(鋳造権といいます。)
江戸時代は「幕府」が圧倒的に権力を握るために、
・日本の土地の4分の1を所有
・全国の重要鉱山(金銀が出る山)を独占
・貨幣鋳造権を掌握
という形で、他の大名=藩と圧倒的な経済力の差が出るような仕組みを作っていたんですね。
なので、「藩」はいつも資金繰りに困っていました。
その資金をなるべく藩の民衆から集めるためにできたのが、
「藩札」です。
最初の藩札は越前国の福井藩が幕許を得て1661年に発行したものとされていますが、
文献上では1630年に発行された備後福山藩の銀札が最初です。
これを皮切りに明治初年までに延べ 244藩が発行したとのこと。
・・・乱発しすぎでしょ( ^ω^)
藩札の発行の理由は様々だったようですが、注目すべき以下の2点です。
1.領内の通貨不足を解消するため
2.近隣の藩からの藩札の流入を防止するため
1.領内の通貨不足を解消するため
藩の財政は常に貨幣不足にあえいでいました。
参勤交代を始め、幕府が藩になるべく反抗する力をつけさせないような仕組みを作ったためですね。
そこで資金繰りに困った藩が目をつけたのが、
一般の領民が持っているお金。
これは領民に対して、
彼らが持っている幕府の正貨(金・銀・銅貨)と藩札との交換を義務づけ、
藩札だけしか領内では使えないようにする。
というものだったそうですね。
現代風に置き換えると、「うちの県は今日から地域振興券しか使えません。今手元にある日本円は地域振興券と引き換えです。」的な感じ。
かなりエゲツない感じがしますが、各藩が幕府貨幣確保に必死だったことが伺えますね( ゚д゚)
2.近隣の藩への幕府貨幣流出を防止するため
また他の藩へ貨幣が流れないようにするために、
藩札を藩ごとに分けたという理由もあるようですね。
領内の良貨(幕府貨幣)が悪貨(信用の裏付けの弱い近隣の藩が発行した紙幣)に取って代わられるため、
それを防ぐための自衛策として、独自の紙幣を発行する場合も少なくなかったようです。
現代風に置き換えると、「隣の県が地域振興券を発行し始めたから、うちの県と取引されると日本円が流出しちゃうよね?だったら俺らも地域振興券作っちゃう?お互い地域振興券で取引したらいいよね?」的な感じ。
私札、藩札は紙幣ではない?
他にも江戸時代の古札類には藩以外にさまざまな発行元があったことが知られています。
先の紙幣の定義の1つに強制通用力があります。
それを考えると
通用する地域が限られる札類は厳密には紙幣とは言えない
と判断します。約束手形に近いのではないでしょうか。
明治時代:戦争によって紙幣はインフレを起こす!
明治時代は金属貨幣に代わり紙幣が通貨の主役となっていきます。
大蔵省が大蔵大臣の名において発行する日本政府紙幣が発行されました。
全国に通用する初めての紙幣を政府発行!
政府は戊辰戦争に多額の費用を要し、
その資金不足を補うため太政官札(1868年 )が発行されました。
これは不換紙幣(金貨との交換を保証しない紙幣)でした。
金貨と比べて信用が低く評判は良くなかったようです。
ニセ札も大量に出回っていました。
金本位制の採用(1円=金1.5g)と円の制定
新貨条例(1871年)を公布。
これにより、金本位制が採用されましたが、金貨不足から銀貨の利用が続きました。
1870年代後半~1880年代にはなし崩し的に銀本位制になります。
1872年 明治通宝(ゲルマン札)発行。これも不換紙幣です。
ゲルマン札の由来はドイツにあった民間工場で製造されたことから。
これはニセ札防止の他に最新の印刷技術を日本に持ち込むという意図もありました。
西南戦争(1877年)を契機に
莫大な軍事費支出のために大量発行されることになります・・・
金銀と交換できない紙幣を大量発行した先に待っているのは
激しいインフレ(貨幣価値下落)です。
いわゆる「紙幣」が紙くずになってしまう状況ですね。
お金が発行されすぎて市場とお金のバランスが崩れる状態です。
紙幣乱造の対策として日本銀行を設立
中央銀行として日本銀行設立(1882年)
1884年日本銀行兌換銀券の発行を定める兌換銀行券条例が公布。
1885年には 日本銀行兌換銀券が発行(銀貨と交換できる)されました。
これは政府が同額の銀貨と交換することを保証した兌換紙幣です。
あれ?
お気づきの人もいるかと思いますが金本位制を採用したのに
銀貨を担保とする銀本位制にしれっと変わってますよね・・・( ^ω^)
海外との貿易で(収支は赤字)多くの金貨が海外に流出したことが原因のようです。
それでもインフレーションの根源であった政府紙幣と国立銀行券は次第に市場から回収されていきました。
日清戦争に勝利したことで再び「金」を手にした日本!
貨幣法を公布(1897年)。金本位制の確立(1円=金0.75g)
日清戦争の賠償金を元手に再び金本位制に移行します。
が、何気に交換レートが半分に!
これは1871年と比べて円の価値が半減したことになります。
調べると
これは銀本位制を取っていたため銀価格が半減したことに理由があるようです。
貿易赤字と世界的な銀安のため、
1897年までに発行された金貨は総額にして約81%が日本国外に流出したそうです( ゚д゚)
このように金銀の流通量で経済が制限されてしまうのが本位制の弱点ですね。
1899年日本銀行兌換券が発行されました(金貨と交換できる)
第1次世界大戦の影響で金本位制を停止
第1次世界大戦(1914年)が起こると各国は紙幣と金の交換を停止します
(=金本位制の停止)。
戦時インフレの影響で銀貨発行を停止
大正小額政府紙幣(1917年 ) 銀貨発行停止
大正時代まで10銭、20銭、50銭は銀貨で発行されていました。
しかしインフレで銀価格が急騰し、
銀貨の額面を超える価格になったため、銀貨が鋳潰される危険がありました。
つまり額面価値<素材の交換価値になったわけですね。
紙幣の原価の方が圧倒的に安価なわけですから
銀貨の代わりに補助貨幣として政府紙幣を発行しました。
例えば、あなたは10円金貨で1本10円のうまい棒を買いますか?
↓
額面10円以上の価値が金貨にあることはお分かりかと思います。
そうなると決済手段としての通貨にならないんですよね^_^;
額面の値段ではだれも使いたがらないから。
そのため現在のお金は(1円を除いて)額面価値>素材の価値となっています。
そして管理通貨制度へ
1931年に金の輸出を禁止して兌換を停止
1932年(昭和7年)の金輸出禁止以後、金兌換も停止され管理通貨制度に移行した。
日本銀行法が制定(1942年)
この法律により、兌換義務のない不換紙幣が発行できるようになり、
法律上も兌換の義務がなくなりました。
これで日本の通貨制度は金本位制度から管理通貨制度へ移行することとなりました。
日銀設立以降の政府紙幣の役割
- 1938年 日中戦争の影響により 小額政府紙幣 (富士桜)
- 1942年 太平洋戦争の影響により 小額政府紙幣 (靖国神社)
- 1948年 インフレーションの影響により 小額政府紙幣発行 (板垣)
こうしてみると日銀が貨幣の流通をコントロールするようになってからは
金属貨幣の物質的価値、または金属不足が理由で政府紙幣が発行されたことがわかります。
まとめ:紙幣は信用ありきの仕組みである!信用なき紙幣は紙クズです。
金属貨幣から紙幣に切り替わった理由
1:交易で海外または他藩の兌換紙幣と相殺することで
金銀(資源)が流出するのを防止するため。
2:兌換紙幣と本位貨幣(金貨)を別々に流通させる事により、
通貨供給量を倍にする事が出来るため(レバレッジがかけられる)。
3:安易な資金調達手段(主に軍事費)として\(^o^)/
いずれも経済拡大を志向しており、不換紙幣が登場した時点で
インフレ(貨幣価値の下落)は必然の道と言えます。
紙幣の特性
元々は国の借金のようなもの、
しかも国債と比較して利子の支払い、償還期限がないという特性ゆえ
戦争など莫大な費用がかかるような事態になったとき
いかに紙幣が大量発行され、インフレ(貨幣価値下落)が
引き起こされたのかがわかりましたね。
戦前の兌換紙幣は金銀と交換できるという信用の担保ありました。
今現在の紙幣は管理通貨制度であり、法律と政府の信用のみで成り立っています。
本当に価値のある財産は…お金じゃないかも。
預金封鎖(1946年)を経験した高齢者は
銀行を全く信用していない人もいるそうです。
またソビエトに領土を奪われ、
お金が紙くずになった経験を持つ
ある戦争経験者はこういったそうです。
「お金は価値がなくなる。
だからお金があったら本を買いなさい。
頭の中に入ったものは、誰も奪えない」
ここまで調べてみた私の結論は
お金の価値=信用
ただし、その信用に担保は無く
長期的に価値を維持できる保証はどこにもない
あなたにとってお金とはどんなものですか?
どんなことにお金を使いますか?
この記事が改めて考えるきっかけになれば幸いです。